悔しかった。羨ましかった。諦めたくなかった。

中卒の底辺野郎が起業するストーリー⑹ 夢を持たなきゃいけないって焦っていた

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ダイブマスターの資格を取得し、
18歳になった僕は久しぶりの日本へ帰国した。

中卒の底辺野郎が起業するストーリー⑸ 17歳単身でタイへ。スキューバダイビングのインストラクターへの道のり

 

日本でダイビングインストラクターを

17歳で一人で海外に行き、
普通に日本に居たら絶対に経験できないようなことを
経験し、
それが自信になっていた。

なんだか少しだけ大きくなった気分だった。

少しだけ人に気使いができるようになり、
愛想よく人と接することができるようになっていた。

以前は誰にでも睨みつけてたガキでしたから
そこからみたらかなりの進歩です(笑)

そして、タイで生活をして

俺もあんな大人たちのようになりたい

そう思うようになった。

タイで出会った人たちのように
人生を楽しみながら仕事をしたい。

好きなことでお金を稼げるようになりたい。

僕が今まで見て来た大人たちはいつも余裕がなくて
険しい表情をしていて
街を歩いていてもマナーの悪い人たちが多い。

例子供が信号待ちをしている横を
信号無視して渡る大人たち

肩がぶつかってもあやまらず、むしろ逆ギレ

電車を降りるとき、わざと体をぶつけてくるやつ

僕の目に映る大人ってこんなのばかりだった。

でもタイにいた人たちは全然違う。

余裕があって、心が広くて

人生を楽しんでいる感じで。

そういう人から出る言葉ってすごく前向きで
こっちもすごい元気をもらえる

心に余裕のあった頼り甲斐あって
器の大きな大人に俺もなりたい。

かっこいい大人になりたい。

そのためには・・
お金を稼げる必ようにならなきゃダメだろうな。

そう思った。

お金がないと買いたいものが買えなくて
ストレスになったり、人に当たってしまったりする。

18歳のこの時からお金に対しての意識は多少あった。

 

でも実際何をやればいいんだろう・・

 

うーーん・・

まぁせっかくライセンスも取ったし
とりあえず日本のダイビングショップで働いてみるか!

ということで早速ダイビングショップの面接に行った。

募集は正社員スタッフだったのだが
その場で即採用になった。

18歳でダイブマスター、
ダイビング本数も600本以上
海外でのダイビング実績。というか海外でしか潜ったことがない。

正直、結構レアな経歴だ。
相手もめちゃくちゃ反応が良く「すぐにうちに来てくれ!」という感じだった。

ただ・・・なんとなく気が進まなかった。

結局、面接に行ったくせに
こちらから断らさせてもらった。

というのもショップの評判があまりよくなかった。

無駄に買う必要のない機材を売りつけたり・・・
という評判を小耳に挟んだからだ。

自分がタイで経験した
ダイビングに対しての思いやイメージを壊したくなかった。

「ダイビングは仕事にしたくないかな・・
やっぱ趣味として楽したいや・・」

僕はとくにこれと言ってやりたいことがなく、
求人広告を漁り、街を歩いてお店で求人しているところを探したりしていた。

中目黒を歩いていた時、ふと目についたアパレルショップが求人を募集していた。

「お!なんとなくファッションとかかっこいいじゃん。
アルバイトしないとお金もないし、とりあえずやってみるか」

そんな感じで中目黒のアパレルショップで働くことになった。

 

夢を探して思いつくものは挑戦する

アルバイトをしながら
やりたいことを模索していたある日、
表参道の美容院に行った帰り道にタレント事務所からスカウトされた。

「芸能人か・・有名になれたらなんかカッケェじゃん
 学歴も関係ないし、
うまくいけばめっちゃ稼げるかもな。。」

そしてなんとその日は
立て続けにもう一つのスカウトもあった。

表参道から渋谷に向かい、スクランブル交差点を渡ったろうとした時に
「すいませーん。」

振り返ると少しだけ強面の、
でも非常に愛想の良いお兄さんがいた。

なんだかちょっと怖い感んじがしたので、僕は足を止めずにあるき続けた

「モデルのスカウトなんですけど、モデルとか興味ないですか?」

「いやーモデルはちょっと・・」

「うちのモデル料、いい時で一回20万くらいは出るんですよ!」

「!!?」

僕はつい足を止めてしまった。

モデルで1回20万というありえない金額。

ある程度売れているモデルならあり得なくないが、
読者モデルレベルのギャラは相当安いって話を聞いていた。
だからこの金額に違和感しかなかった。

それに僕はモデルって体系ではない。

別に身長が特別高いわけでもないし、
なんなら足だって短いほうだ。

幼い頃から親父にスクワットをさせられ、正座をさせられ、
胴ばかりが伸びてしまった。

短いくせに太ももが発達してる。

そのせいでパンツは
ウエストがぴったりでも太ももが入らない。

だから太ももに合わせるからウエストがいつもあまってしまうのだ。

結構悩みだ。

まぁそれは良いとして、そんな体型の僕がモデルってのは
聞き捨てならない。こいつは何をおっしゃってる?

 

「モデルで20万って高くないですか?」

 

「そう!うちは他よりもギャラがいいんですよ!よかったら見学にどう!?

事務所この近くだからさ!」

「え?つーかどんなモデルをするんです?」

「そうだね〜下着になることもあるかな〜」

「下着??ん?下着メーカーか何かです??」

「いやいや 笑 違うよ笑」

「???」

「そうだなぁ〜・・男同士の絡みも多少あるけど、まぁ最初からそれはないから安心して!」

「絡み?アンシン?」

・・・

!!?まさか・・・

「それってどんな雑誌に載るんですか・・?」

「男の子向けの雑誌だよ!」

「・・というと?」

「ゲイ雑誌見たことあるかな?」

 

「・・・失礼します」

「あぁ!!ちょっとー!!!」

スタスタスタスタ

早足で逃げた。マジで心臓が喉から出そうになった。

 

そう。

ゲイモデルのスカウトだった。

いくら積まれても、死んでも絶対にやりたくない・・

またいつか別に記事を書こうと思っているんだが、
一度ゲイに睡眠薬を飲まされてやられるそうになった事件があったんだ・・・

俺はやたらゲイにモテてしまうんだ 泣

まぁそんな珍事件は良いとして、
僕は芸能事務所に入ることにした。

まぁ全然小さい事務所でしたけど。

よし!速攻で売れっ子になったる!

 

・・・と思っていたんだけど

何度かレッスンに行って

「あぁ・・俺には無理だなこれ。」

と思ってすぐにやめました。

それは
十数人が集まるレッスンでのこと。

「飲料水のCMに出演したという仮定して
美味しく飲む演技をしてください!」

と。一人一人前に出てやらされた。

プハァー!!うまい!!!(満面の笑み)

そんな演技をする自分に

寒気がして冷めてしまったからだ。

なんも美味くねぇし・・

何やってんだ俺??

俺気持ちわり・・

僕はあっさり芸能界への道は諦めた。

 

・・・さぁて、何をするか。。

学歴関係なくできること。

俺みたいな奴は何か特殊能力を身につけないと・・

そんな時に目をつけたのは

格闘技だった

当時Kー1が流行っていて

K-1に出て有名になれればがっぽり儲けられるんじゃ!?

そう思って、僕はキックボクシングジムに入門した。

小学校3年から極真空手をやっていて
大会でも2回準優勝した経験もあった。

中2からはボクシングもやっていたので
根拠のない自信があったのでいける気がした。

実際、久しぶりに格闘技を始めて早々に

スパーをしたが、プロになったばかりの同い年と互角に戦えていた。

「俺めっちゃセンスあんじゃね?」
とすら思った。

完全に調子こいていた。

 

・・が、

度々左膝を痛めるようになり、
ジムを休んだりの繰り返しに。

最初は「スパーで痛めたのだろう」って思っていたけど
そもそも膝を痛めるような覚えがなかった。

あまりにも痛めることが多く、
ある時歩くことができなくなってしまった。

これはおかしい・・・

そう思い、病院に行って診察してもらうと

”分裂膝蓋骨”

という診断が下された。

膝の皿が割れている状態で
その分裂しているところが圧迫され
激痛を起こしたらしい。

私生活は問題はないが激しい運動は勧めない。

つまり、格闘技はもうできないということだった。

「マジか・・・・」

これがきっかけとなって
僕はキックボクシングを諦めた。

まぁこの怪我もそうだったが
練習がキツ過ぎて
どこかで
プロ志望の人間との温度差を感じていたので
残念には思ったけどそこまでの悔しさはなかった。

でも、何か目標を持っていないといけない。
夢を持っていない奴はつまらない奴。ダメな奴だと思い込んでいたので
常に目標を無理やり持とうとしていた。

だからいつも焦っていた。

この時、俺はすでに22歳になっていた。

その後、

イタリアンレストランでコックを目指したり

ラーメン屋開業を試みて修行したり

投資不動産の営業をやってみたり

彫金師や

革靴職人

etc・・・

何か自分の力で稼げる特殊能力を・・
思いついたものには全て挑戦した。

でも、

どれも少し続けて行くと

この世界で頑張っていて
本当に自立できるんだろうか?

もっと他に良い選択があるんじゃ?

平均以上のお金を稼げないんじゃ?

そう思って他のことが気になって
全然集中できない。

挑戦はするが、
次第にこんな思いが浮かぶように。

俺って何やっても長続きしねぇな・・

次にまた何か始めても
どうせ途中で投げだちゃうんだろうな・・

と、だんだんとセルフイメージが低くなっていた。

中学からずっと自分の感情を抑えずに生きてきたので
そもそも忍耐力というものがなかった。

タイでライセンスを取得できたのは
逃げ場のない環境だったから。

そもそも特殊な環境だった。

いざ日本に帰ってきて
自分が決めたことを行おうとしても
簡単にルールを破れてしまう。

俺は自分に甘い人間だった。

たくさんのことに挑戦するたびに
どんどん自分に自信がなくなっていった。

自分が決めたことも守れない甘い人間。

そんな人間が目標を達成することなんてできない。

その価値観が頭ん中で繰り返され、
自分の言葉によってネガティブな洗脳が行われて、
すっかり自分に自信がなくなっていった。

年齢も22、23、24・・・と

どんどん歳だけがとって行く。

それで自分がやりたいことを探し続けていた。

周りの人間からは

「お前いつまでフラフラしてんだ?」

「良い加減落ち着け」

「世の中を甘く見過ぎ」

とか散々言われた。

仕事をしながら自分のやりたいことを探す日々。

でも未だに何をしたら良いかわからない。

僕は常に焦っていた。

苛立ちが日に日に増していき、
気がついたらまた昔の自分に戻りつつあった。

劣等感、後悔

タイから戻って

もう10年。。

28歳になった僕は
ガテン系の仕事に落ち着いていた。

道路の白線を引く仕事だ。

そこで正社員となり、親方として働いていた。

僕が正社員になったのは理由があった。

実は当時、僕は結婚をしたばかり。

相手の両親に挨拶へ行くのに
”アルバイト”ではカッコがつかなかったらだ。

嫁は一つ上で

当時29歳だった。

嫁は結婚願望もあり、結婚式も絶対にあげたい。

それが嫁の一つの夢だった。

だから僕はちょっと無理をして
嫁が30歳になる前に結婚式を行うことにした。

人生に一度。

一生記憶に残るものだから
嫁がやりたいように
盛大に式を挙げることにした。

で、

結婚式、新婚旅行にバリ島。

総額550万円かかった。

半端なく豪華な式でした・・笑

僕は貯金が200万しかなかったので
残りを嫁が少々、あとはブライダルローンで賄った。

当時の僕の給与は現場仕事なので波はあったが
35~45万くらいは得ていた。

なので、返済の目処はありました。

でも、僕は絶対に今のままでは終わりたくない。

いずれ独立をして
大金を稼げるようになる。

嫁が働かなくても養えるくらいに。

子供ができたら何不自由なく育てられるように。

それに実は僕の両親は僕が20歳になった時に
離婚をし、母親は一人になってしまった。

毎日働きづめの母を養いたい。

 

結婚をしてからも
仕事をしながらに夢を追うことを諦めませんでした

仕事の傍らで
独学で始めた彫金(シルバーアクセ)を
オーダーで受注し、売ったりしていました。

シルバーは原価がめちゃめちゃ安いので
超かっけぇブランド作れば
儲けられる!って思っていました。

  

その後、知り合いの紹介で
そこそこ有名なシルバーアクセの高級ブランド
G◯ R◯◯
の創業メンバー?だったか、
まぁかなりのお偉いさんがいるのだが、

その人が独立して
新たにブランドを立ち上げるってことで
造形師としての話が来た。

うぉぉ!!まじか!!

と超絶テンションが上がったのは今でも覚えている。

でも、しばらくして
自分のシルバー熱が冷めてきて
結局その話はお蔵入りになってしまった。

理由は2つ。

シルバーアクセの需要がそもそも少ない。

原価は安くても
設備を整えるとしたら相当だ。

ブランドではなく、スクールを開くことも考えたが
それだともっと高等技術も必要だな・・と。

僕はあくまで独学。

クロムハーツやスカル系のような造形が得意だったが

・・・差別化が難しい。

もっと細やかなハワジュのような繊細な技術があれば・・とも思ったが

3Dプリンターが出てきた今、
技術での差別化は難しい・・・

そう考えたらなんだか熱が冷めてしまった。

シルバーを作るのは好きだが
仕事とするにはあまり現実的ではない。

僕は大金を稼げるようになりたかったから。

それからもう一つの理由が

革靴職人に興味を持ち出したからだ。

ハンドメイドの革靴は1足30万円以上する。

にも関わらず、需要があった。

オシャレに気を使うビジネスマン、

ちょっとこだわりのある人は

1足は欲しいアイテムだ。

当時の僕はそう思っていた。

シルバーアクセサリーよりも

まだ堅い。そう思った。

中卒の僕が成功するためには
何か特殊能力を身につける必要がある。

頭を使うことが苦手でも
手先は多少器用だし、ものを作るのが単純に好きだった。

なので
その分野で成功を目論んでいた。

お金が稼げて自分にも頑張ればできそうなこと。

そう考え、革靴職人の道を選んだ。

仕事の傍ら、週に1日。

革靴職人のスクールに通い始めた。

ロンドンのハンドメイド革靴業界で
超一流メーカーで職人をしていた人が
東京でスクールを開いていたので、そこに通った。

嫁は僕が何かを追うことに何も文句は言わず、
むしろ応援をしてくれていた。

しばらく僕は革靴作りに没頭した。

でもすぐに悪い癖が出始めていた。

本当にこの世界でやっていけるんだろうか・・

また、ブレが出てきたのだ。

僕は何をやっても

ちょっとやるとすぐに熱が冷め
うまくいかない未来ばかり想像してしまう。

もしかしたらもっと良い道があるんじゃ・・

もっと良い何かが・・

僕の根元にあるのはお金だった。

やりたいことを見つける

というより、

お金を稼げる仕事

だったので軸がブレブレ。

何をやってもすぐに他が気になってしまう。

まぁ嫁にも応援してもらっている手前
そんなことは言えなかったし
態度にも出しませんでしたが。

こんな感じで僕は軸が定まらない人間で
いつもブレまくる。

もう何年もこんな状態なので

ふとこう思うことがありました。

もう俺は終わっているんじゃ・・

もう人生を変えることはできないんじゃ・・

夕方になると、なんか気分がさらに落ちて

「あぁ・・今日もいつもと変わらない1日だった・・」

そして周りの人間と比較し、
劣等感を感じるように。

風の噂で同級生の〇〇が

大手の広告代理店に就職しててバリバリらしい
商社でめちゃくちゃ稼いでいる

など耳にし、
それに比べて、俺は一体・・

毎度毎度自分が決めたことを貫けず、

ブレブレ。

そんなダメな自分が惨めになるし
ダメな自分を認めたくなかった。

誰かが成功しているのは
悔しかったし、認めたくなかった。

そして

学校、ちゃんと言っておけばよかった・・・

歴がないことへの
コンプレックスが強くなっていった。

「なんで俺はあんなに不真面目に
毎日を適当に過ごしてしまったのだろう・・」

「学校でもっと真面目に生活して
勉強もちゃんとしていれば
今頃いい会社に入ることもできたかもしれない」

「もっと選択肢の幅も広がったはずだ。」

俺を受け入れてくれる会社なんて
せいぜい肉体労働くらいだ。

このままで自分はいつか本当に稼げるようになるのか?

やっぱり独立は無理なんじゃ?

そう思って、
もう一度学校へ通い直すことも考えた。

でも、何かやりたいことがあるわけでもない。

仮に高校を出たところこで今更だ。

そもそも高卒も学歴としては低い。

中卒という肩書きが僕に大きくのしかかってきた。

落ち込み、焦り、イラつき、
完全に自分を見失いかけていた。

なんとか今を抜け出したい。

俺はこんなところで止まっているわけにはいかない。

でも、これからも何もかわらずにいたら・・

5年後、10年後はどうなっている?

今の仕事をまだしている?

もし怪我をしたりたら?
収入は止まる。

学歴にコンプレックスがあった中卒の僕がビジネスを始めて学んだこと

実際、ここで書いてあるように一瞬で家計は厳しくなる。

当時の会社も
社長のワンマンで人が育たない

社長が自ら営業したり、で仕事を取ってくるけど、
もし、この社長が倒れたら?

会社は今までのように機能しなくなる

そうなったら給料は?

俺たちの生活は?

このままでいるのはリスクでしかない

こんな生活を一生続けていわけにはいかない。

労働しても支払いに消えて。

また翌月も労働して支払いに消える。

ハムスターが歯車を回すように

終わりの見えないゴールに向かって

ただ走り続ける生活。

怖かった。

だから暇さえあれば転職サイトを開いて
今より稼げる仕事を探していた。

でも、良い仕事は全然なくて・・

そんな時だった。

グーグルで

中卒 仕事 稼げる

と検索をしていたとき

2015年夏

インターネットビジネスという世界に出会った。

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僕は上司に散々
「お前は他いっても通用しないぞ」
と、言われてきました。

全く関係ないです。

あなたもそう言われて
なんとなく不安に感じてしまっているかもしれません。

自分なんて・・・って。

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